【映画も本から作られている】

古典読書について

【映画も本から作られている】

人は
「人・本・旅」から学ぶ。

これ以外からは学びようがない。

映画も元を辿れば本から作られている。




今日の古典講座では
『明智光秀』小泉三申著
を取り上げました。

ちょうど先日、
NHKの大河ドラマの「麒麟がゆく」の最終回が終わったところです。
その日たまたま最終回だけ目にしました。

この番組の脚本家へのインタビューを確認したところ
明智光秀の叛逆者という前提を、一旦ゼロにしたものを描きたいというものでした。



この三申の『明智光秀』伝は
江戸末期まで逆賊として名を遺していた明智光秀とは違う
別の角度から光を充てて書いた作品で
その正当性を描く初の光秀伝だったのです。

明治期に初めて書かかれた逆賊ではない光秀伝だったわけです。


そこから容易に推測できるのは
この大河ドラマの脚本の元になっているのは、古典本だということです。

つまり
一次資料であり一次情報であるということです。

情報の価値は、一次情報が最も価値をもち、次いで二次情報、次いで三次情報と、一次情報に対して跨げば跨ぐほど、原液を水で割ったカルピスのごとく薄まっていきます。

最終的には水の味しかしない何の値打ちもないただのカルピス風の水になります。


何が言いたいか?

古典を読むというのは
あらゆる映画の元ネタとなっている原典にあたることだということ。
そして、それはカルピスの原液をがぶ飲みするぐらいの濃密な質の高さだということです。

とまぁ
結構激しめに聴こえるかもしれませんが
それだけ書物というのは
時間の試練に耐えたもので
実際そうなのです。

古典は質の高い原液そのもの。
これを飲み干して血肉化しない手はないですね。

時に苦いですけどね。笑


モンゴル民族の最古の古典
『元朝秘史』も取り上げました。

タイトルとURLをコピーしました