世の中には、
生きながら死んでいる人間もいれば、
死んでも尚人々の心に生き続ける人物もいる。
「目は口ほどに物を言う」というが、その兆候は瞳の奥にも静かに現れる。
セネカはいう、
「人間の生は立派に活用すれば充分に長く、また浪費されれば生は短い。
つまりは、生自体が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのだ」
生を長くするも、短くするも自分次第なのだ。
自分の時間というのは無形であり、あたかも無限に続くかのような錯覚が、時間を無価値なものとして扱うことを許す。
最たる例は「暇つぶし」。
「暇つぶし」とは「時間つぶし」であり、
「時間つぶし」とは人生を潰すことである。
真に生きる人間は、人生を潰すことなどはしない。
また、
真に生きる上で大事なことを先延ばしにもしないのだ。
多くの人が目の前のことに忙殺され、真にやりたいことを後回しにし、取るに足りないことを優先させる。
だが、人は誰しもいつかは死ぬのだ。
そして、それがいつ来るかは誰にもわからない。
今を犠牲にした土台の上に、未来を築いても、人生の終着点では音を立てて崩れる。
幸せを求めることはみな同じであるが、その形は千差万別であり、多数であることが必ずしも幸福の道であることなどはあり得ない。
セネカはこうも言う。
「人と同じであることを旨として生きることほど、大きな害悪の渦にわれわれを巻き込むものはないのである。」
群れた羊になるな、孤高のライオンになれ。
今から約2000年前の古代ローマ時代に哲人セネカによって著された第1級の古典。
YOERU.